6次産業化
6次産業化とは、農家などの農林水産業者が、原材料である農産品の生産だけではなく、加工を行ったり、自ら販売を行うことを指す。
既存の農林水産業だけでは付加価値が取りにくく、この6次産業化は、農林水産業者の事業展開において一つの重要なポイントとなっている。
うまく6次産業化を行い儲けているようなところもあれば、畑違いのことを行うため、なかなかうまくいっていないことも多いのが現状だ。
ただ、農林水産省としては、農林水産業者の6次産業化を進めており、先進事例の公表などを行っている。
農林水産省「6次産業化先進事例集【100事例】」
これらについて、どうこう言うつもりはないが、歴史的に考えれば、食品メーカーの「カゴメ」こそ、6次産業化の成功事例ではないかと思う。
正直、私はカゴメとは無関係で、何の縁もゆかりもない。しかし、カゴメの歴史や創業者である蟹江一太郎氏のことを見ると、非常に面白い。
カゴメの創業者・蟹江一太郎
カゴメの創業者である蟹江一太郎氏(1875~1971年)は、農家の生まれで、農業を続けようと考えていた。
そんな折、兵隊に召集され、教官の中尉から、
「これからの農業は米麦ばかり作っていてはだめで、野菜のような換金作物をもっと作り、現金収入を多く確保すべきだ。
ただ誰もが同じようにイモや大根ばかり作ったら生産過剰で値は下がる。
軍隊でも最近は使っている西洋野菜は、これから一般家庭にも普及するだろう。」
と言われたという。
そして、一太郎は除隊後、1899年から、トマト・キャベツ・レタス・パセリを栽培し始める。
当時はいずれも日本では珍しかったが、徐々に売れるようになった。
ただ、トマトだけは独特の青くささと、真っ赤な色が敬遠され、全く売れなかった。
困った一太郎であったが、愛知県農事試験場から、加工することを勧められ、野菜の販売先である西洋料理店から「トマトソース」の存在を教えてもらう。
そして、試行錯誤を繰り返し、1903年に「トマトソース」の製造に成功する。
日露戦争でいったんは、兵隊にとられるが、除隊後、本格的にトマト加工業に進出。工場を作り、近隣農家から工場がトマトを引き取るという条件で、トマトを作ってもらい、トマトケチャップやウスターソースを製造・販売する。
当時、コロッケなどの洋食がもてはやされたこともあり、事業は軌道にのり、1914年には、地元トマト農家や加工業者に呼びかけ、「愛知トマトソース製造合資会社」を設立、現在のカゴメという大企業へと発展させる。
ここから分かること
上記の蟹江一太郎氏の行ったことは、今でいえば、まさしく「6次産業化」といえよう。
100年以上前の話であり、現在に単純に当てはめるわけにはいかないが、それでもいくつか学ぶべきポイントがあると思う。
まとめると、次のようなポイントがあるといえよう。
①他の人があまり作っていなかった西洋野菜を栽培したこと
②更に、加工を実施したこと
③地元農家などの協力を取り付けたこと(同時に、買い取りを約束するというリスクテイク)
④農業から加工業、そしてカゴメという大企業へと発展させたこと
特に、最後のカゴメという大企業へと発展させたという事実は、6次産業化を行っている農林水産業者にとっては、夢を与えてくれると思う。
最後に
現在、カゴメといえば、農林漁業者ではなく、あくまでも食品メーカーである。
しかし、生鮮トマトは年間を通じた量・価格が安定した供給が必要であることから、1998年に農業に参入、2012年度より黒字化を達成。
現在は、直営菜園・契約菜園を含め、日本全国11か所に大型菜園を有するに至っている。
カゴメの菜園(カゴメHPより)
ここから、6次産業化の更にその先が見えてくるとともに、改めて農林水産業と食品製造業との結びつきを感じてしまう。
参考
宮本又郎編著「図説 明治の企業家 (ふくろうの本/日本の歴史)」
カゴメ「企業情報サイト」
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