概要
傾斜生産方式とは、太平洋戦争敗戦後に行われた経済・産業政策です。
経済学者・有沢広巳が立案し、1946年12月に閣議決定され、1949年のドッジライン実施まで行われました。
内容
戦後の物資難の中、石炭と鉄鋼に重点的に資源配分を行うことで、経済復興を行おうとするものです。
具体的には、限られた輸入重油を鉄鋼生産に回し、増産された鉄鋼を炭鉱に投入、石炭の増産を図り、その石炭を鉄鋼業に回すことで、石炭と鉄鋼の増産を図ろうというものです。
傾斜生産方式イメージ
政府は、この計画を実施するため、補助金を支出したり、復興金融公庫による優先的な資金供給が行われました。
結果
鉄鋼生産は1947年度は前年比約60%増、1948年度は前年比約100%増となり、石炭生産は1947年下期には、計画した年間3000万トンの生産を実現しました。
この鉄と石炭の生産回復により、日本経済は生産財の供給を増加させることができ、物資不足によるインフレ進行を抑制する役割を果たしました。
反面、資金供給の中心であった復興金融公庫の原資は、復金債の日銀引受けにより賄われていたため、通貨供給量が増大し、インフレを招くという結果となりました。
参考
橋本寿朗他『現代日本経済』
コメント