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いつのまにか、なくなった、ご当地検定。

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概要

 思えば、5年ほど前、ご当地検定というものが、ブームになった。
 地域の歴史や情報を問題とした検定であり、2003年の「博多っ子検定」がその最初と言われるが、2000年代後半には、全国各地で行われるようになった。


 そしてふと、ご当地検定は今、どうなったのだろうかと思い、調べてみた。
 現在も継続しているところもあれば、中止になったところもある。
 ブームはいつかは終わるのだから、しょうがいないという意見もあるだろうが、そもそも仕組みとして、継続性がなかったのだろう。

外部リンク例えば、日本商工会議所「ご当地検定情報」を参照してほしい


なぜ、継続できなかったのか?

 それではなぜ、ご当地検定は継続性がなかったのだろうか?
 理由として、次のようなものが考えられる。

 1つ目は、あくまでもその地域の住民を対象としており、勉強してまでふるさと情報を学びたい人ということで、そもそもターゲットがかなり狭かったのだろう。これでは、何回か繰り返せば、受検者はいなくなってしまう。逆に現在でも、ご当地検定を行っているようなところは、上級・中級・初級や1級・2級・3級などのランクを付けた検定を行うことで、受検者の維持・リピーターの確保などを行っている。

 2つ目は、ご当地検定は、基本的に商工会議所や商工会などが行っている場合が多い。また、JC(青年会議所)などが行う場合もある。いずれにしても、これらは町村を単位とした組織である。町村単位では、上記のように受検者は限られるし、ふるさと情報のネタという点でも限られてしまう。

 3つ目は、ご当地検定を行おうとすれば、一定の固定費は発生してしまう。しかし、そもそも地域が限定されているため、多くの受検者数は期待できず、コスト負担が大きく感じられたのかもしれない。経営学的な言い方をすれば、損益分岐点を超えるような受検者の確保が難しかったのだろう。

 4つ目は、あくまでも検定に過ぎず、資格などとは違うという点であろう。仕事やキャリアに無関係で、あくまでも趣味の一環とすれば、受検者の欲求を満たすことは限られてくる。


ご当地検定を復活するには

 とはいえ、地域情報を知りたい、地域の歴史を知りたいなどといったニーズは、どこでも必ずあるものである。

 そこで、上記のような問題を解決して、ご当地検定を復活させることが考えられる。
 そのためには、次のような点を検討すべきだ。

 1つ目は、現在でも行われているように、等級を付けた検定として、リピーターを確保すべきである。

 2つ目は、市町村レベルではなく、もっと広域化した検定とすべきだ。そうすれば、受検者のターゲットを拡大できるし、検定のネタも拡大できる。
 また、検定としては1つの看板だが、その中で市町村単位の区分を設けることも考えられる。例えば、○○地域検定として、試験科目A市などといった形だ。そうすれば、人間の欲求として、すべての科目を制覇してやろうという人も出てくるため、リピーターの確保にもつながりやすい。
 更に、歴史・食・人物などといった分野で科目設定などをしてもいい。市町村単位であれば、分野を設定しようと思っても、ネタが限られる。しかし、広域化することで、このような分野での科目設定も可能になるだろう。
 そして、このような広域化した検定とすることで、別々に検定を行うよりも、固定費の削減にもつながるだろう。

 3つ目は、検定ではなく、「マイスター」など資格的な名称にすることも考えられる。検定ではあくまでも趣味の域に過ぎないが、それ以外にも出口が見えれば、検定に取り組みやすい。また、人数に限りはあるが、市民講座や広報誌への執筆などに繋がれば、単なる検定以上のメリットも出てくるので、取り組む幅が大きくなるだろう。


あえてご当地検定を復活する必要もないけど…

 地域情報を知りたい、地域の歴史を知りたいなどといったニーズはあると思うが、私は無理をして復活させる必要はないと思う。あくまでも個々人のニーズであるため、私企業などが事業として行うのは構わないが、行政や経済団体など、公共的色彩の強い団体が行う意義は少ないと思っている。

 ただ、このようなニーズを満たす必要性は必ずしもないが、検定など地域の情報や歴史を学ぶ仕組みは重要ではないかとも思っている。

 人は意外と自分の地域について知らないことが多いものである。
 しかし、観光業に携わる人は勿論、行政関係や公的機関に勤務している人など、地域の情報や歴史について知っているべき職業に就いている人がいる。また、そのような職業に就いていなくても、自分の地域のことをどれだけ知っているかで、他の地域から来た人のもてなし方は変わってくる。ネットの時代といっても、地域の情報や歴史といった情報は、人とのコミュニケーションの中で流通されるものだからだ。

 このようなことを考えたとき、他の地域の人にその地域の素晴らしさや歴史などをできるだけ伝えるためにも、地域の情報や歴史などを学ぶ仕組みが必要だと思う。


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