施策や政策を検討する際に、審議会や会議が行われる。
そしてこの審議会や会議について、官僚などがコントロールしているという話がある。また、官僚のシナリオ通りに進む会議について、問題視されることがある。逆に、官僚のシナリオ通りに意見を言う学者などは、御用学者などと呼ばれ、揶揄されることもある。
もっとも、官僚が悪意をもって、審議会をコントロールしようとする場合もある。自分たちの意見を通すために、様々な手段を用いて、会議を運営しようともする。
しかし、これは官僚の一面を見ているに過ぎない。
このように会議をコントロールしなければいけない理由がある。
- 見ている人にとっては面白いかもしれないが、事務局としては会議はスムーズに進んだほうがいいに決まっている。そこで会議を荒らすような人は、選ばない。言い方を変えると、意見対立などがあった場合、会議は進まないので、会議に結論が出せなくなる。この逆の例が、「朝まで生テレビ」のような討論番組だ。わざと意見対立を起こすような人を呼び、結論は出さない。テレビ番組ならば、それでいいだろうが、行政機関としてはそういう訳にはいかない。
- 委員には専門家や実務家などが選定される場合が多いが、とんちんかんな話や抽象的な話をする委員もいる。会議を進めるにあたっては、このような委員の意見も何とかまとめなければならない。
- 上記とも関連するが、例えば経済関連の会議であれば、委員は大学の先生であったり、会社の社長だったりする。この場合、実は経済全体の専門家でなければ、施策の専門家でもない。そのため、話がミクロな話に進んだり、逆に抽象的な話になってしまい、実現性などが無視されることがある。いくら素晴らしい意見でも、事務局としては、最終的には施策に落とし込んでいかなければならないため、このような意見は困ってしまう。
- 委員といっても、その会議のことばかり考えているわけではない。通常は、他に仕事をしていて、その合間に会議に参加している。そのため、最終的には、事務局がいろいろな案を出したりしなければならない
- 会議はずっと続けていくわけにはいかない。何らかの結論を出して進める必要がある。特に、委員のスケジュールなどを考えると、簡単に会議を開催するわけにもいかない。そうすると、1回1回の会議を大事にし、ある程度のシナリオを描いて、会議を進めないとどうしようない。
官僚のシナリオなどと悪く言われる場合があるが、実務上、会議を進めるには、このように仕方がない面がある。逆に言うと、シナリオを描かなければ、仕事が進められないのである。
そしてこのような視点で、行政の審議会や会議などを見ると、これまでとは違った姿で、施策運営やそのプロセスが見えてくると思う。特に最近、批判される教育委員会だが、同様のプロセスで運営が進められている。このような視点をもって、教育委員会についても考えなければならない。
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