終戦70年
終戦70年と言うこともあり、最近、ニュース・テレビ番組などで、太平洋戦争などに関するものが多く取り上げられている。安保法制について審議も行われていることから、一層、拍車がかかっているのかもしれない。
どうしても戦争ということになると、国の話ということになるが、当然ながら、地域への影響もある。そこで改めて、戦争による地域への影響について、考えてみた。
戦争の影響
戦争の地域への影響について整理すると、次のようになるだろう。
①街並み形成
戦争による空襲で、新たに街並みが整備されたところも多い。なかなかその痕跡は見えにくいが、例えば、大阪の堺市は、空襲による被害から復興したということで、「フェニックス通り」という名前の通りがあったりもする。逆に、京都などのように、空襲に遭わなかったことにより、古い建物などが残っているということで、ブランドになっていることもある。
また、東京・御徒町のアメ横や新宿の思い出横丁などは、戦後の闇市の名残である。
②戦争遺産
空襲などにあったところは、戦争遺産ということでその痕跡を残している。戦争による被害や悲劇などを伝えるところが多く、大きな被害があった沖縄、広島、長崎などが挙げられよう。空襲などには遭わなくても、その悲劇を伝えるものとして、特攻隊の知覧のようなところや、長野には満蒙開拓平和記念館というものもある。
ただ被害・悲劇だけではなく、長野県の松代大本営や横須賀の戦艦「三笠」などもある。また、お城などは戦国・江戸時代だけの話ではなく、戦前は、軍隊が置かれていたことも多い。例えば、大阪城は陸軍第4師団の司令部があった。
③人物
当時の軍人などは、地方出身者が多く占めていたので、地域との関わりが強い。「坂の上の雲」の秋山兄弟などは、観光資源としても利用もされている。
ただ、太平洋戦争の場合、敗戦ということもあり、あまりこのような例は少ないが、新潟県・長岡市には山本五十六記念館があったりもする。
④商工業
商工業への影響として、まず連隊・師団の存在が挙げられよう。連隊・師団があれば、人口が増えたりするので、戦前は、地域への連隊の誘致合戦などが行われたりもした。また、連隊などは、地域ごとに編成されていたので、軍隊と地域の関わりは強い。
軍需工場などがあったことから、戦後、地域の経済発展に寄与した例もある。例えば、広島の呉のように、海軍工廠があったことから、造船の町に発展した。また、自動車メーカーのマツダの創業者は、呉の海軍工廠などで働いていたりもする。
工廠跡地がそのまま工場地として利用されていることもある。四日市のコンビナートの一角は、海軍の燃料廠の跡地である。
また、山形県の米沢地域には、電気機械メーカーがいくつも立地しているが、その起源としては、地域の伝統産業から発展した企業、誘致企業と共に、戦中の疎開工場から構成されていると言われている。
④文化
文化というと大げさだが、ご当地グルメなどは戦争・軍隊が絡んでいることもある。分かりやすい例としては、名前の通り「横須賀海軍カレー」などが挙げられるだろう。また、宇都宮餃子は、中国に出征していた兵士により餃子が作られ、市民に広まったと言われる。
また、地域の祭りなどにも関係していることもある。例えば、神奈川県の平塚は七夕で有名だが、その起源は、昭和25年の「復興祭り」である。
地域と戦争との関係を見つめ直す
戦争というと、どうしても大きな話になるが、地域と戦争は無関係ではなく、それぞれの地域で、改めて見つめ直してほしいと思う。
それにより、地域の街並み・経済・文化などのDNAを見出すことができるだろう。また、(悲劇的・政治的なことも多いので難しい面もあるが)観光という面で、その種になる部分もあるだろう。
よく学校では近現代史を教えないので、戦争について知らない人が多いと言われる。
これは、地域と戦争の関係についても同様である。また、地域と戦争が絡むと、どうしても空襲の話などになってしまうことも多いだろう。
しかし、上記のように、地域と戦争の関係はそれだけではない。多面的に、改めてそれぞれの地域で、地域と戦争の関係について、見つめ直してほしいと思う。
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