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江戸時代の地域別の石高を調べてみた

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 地方経済というものを考える際に、歴史は非常に重要であると考えている。また、地域経済の施策・運営にあたっても、歴史から学べるところも多い。
 そこで、現在の都道府県とは一致しないし、統計の取り方も時代によって異なるが、江戸時代の石高について調べてみた。


 1つは、全国計で、1593年から1873年にかけて、約1,851万石から約3,201万石と石高は増加している点である。ただ、増加しているといっても、年率換算では0.2%と決して大きくない。確かに1600年代は比較的、経済は好調だったが、それ以降は天災などもあり、経済は低迷していたと言われている。とはいえ、私の印象では、0.2%の成長率は思ったよりも大きくないという感じだ。

 2つは、比較的、中国・四国・九州地方といった西国の増加率が高いということだ。勿論、規模でいえば、東北・関東・北陸地方などが大きく、米だけが経済のすべてではないが、明治維新と合わせて考えると面白い結果である。

 3つは、現在のシステムでどうしても捉えがちだが、江戸時代は地方分権が行われていた時代であった。確かに、徳川家康により天下統一はなされたが、各藩の運営は、それぞれの藩に委ねられていた。産業政策や財政政策などはもとより、藩札などの形で通貨も発行されており、(すべてではないが)通貨・金融政策も各藩で行われていた。

 各藩で、うまく政治をおこなっているところもあれば、経済政策に失敗してしまう藩もあったと思う。そうなると、地域によって、格差は大きくなるのではないかという推測が成り立つ。しかし、どうもそういうことはないようだ。
 右の表は、蝦夷地、壱岐、対馬、琉球は除いた令制国別の石高について、格差を見るため、変動係数をとったものである。数値のとおり、0.8から0.9となっており、時代により大きな違いはない。
変動係数
1598年(慶長3年) 0.86
1697年(元禄10年) 0.81
1834年(天保5年) 0.90
1873年(明治6年) 0.89

 勿論、米なので、地域によって技術的な差は生じにくく、石高に差は出にくい面があるかもしれない。江戸時代とはいえ、貨幣経済も進んでおり、米だけが経済のすべてではない。検知などの方法が時代で異なり、その影響もあるだろう。

 しかし、現在に比べ、容易に全国各地に技術が普及していたわけではない。灌漑などのインフラも、地域によって大きく異なる。にもかかわらず、このような結果なのは意外であった。

 すなわち、地方分権化された時代にあって、地域格差が増加していたわけではないということだ。

 私は地域経済を活性化するためにも、地方分権が必要であると思っているが、単純に、このように地方分権すれば地域格差がなくなる話をするつもりはない。低成長でもあったということで、クズネッツの逆U字曲線の理論が成立していたのかもしれない。

 しかし、このような歴史を見てみると、非常に示唆的である。
 江戸時代は、米・貨幣(金、銀)・藩札など多様な通貨的なものがあったため、金融システムを含め、更なる検証が必要だと思われる。

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