スポンサーリンク

街中は車を止めるところがない、いいことじゃないか!

スポンサーリンク

 よく地域経済の疲弊を象徴するものとして、シャッター通り商店街のことが言われる。

 ただふと思えば、シャッター通りがあるだけで、ましじゃないかと思う。それは、次のニュースを見たからだ。

外部リンク2013/08/08 山形新聞「「映画のまち山形」の象徴、シネマ旭解体へ 老朽化理由、駐車場に」


 記事によると、100年近く前からあった映画館が取り壊され、駐車場になるということである。時代の流れとはいえ、街の象徴である場所がなくなるのは、非常に寂しいものだ。そこには、地域に住む人の思い出が詰まってからである。しかも、新しい建物が建つということではなく、単なる駐車場になるということである。

 このような大規模に施設に限らず、街中の商店街であっても、かつてお店であったところが駐車場になった例は、よく見る光景だ。撤去費用などが発生するため単純な話はできないが、固定資産税などを考えると、そのままシャッターを閉めておくと、管理費がかかってしまう。それならば、駐車場にしたほうがいいのだろう。

 ただここで注意すべきは、都会であれば、ここに新しい建物が建っていたのだろうが、駐車場にならざるを得ないという点で、地域経済の衰退を見ることができるという点である。
 言い方を代えれば、地域経済が元気であれば、駐車場よりも儲かる事業をその土地で行うはずなので、駐車場にすること自体、その地域の衰退を表していると言えよう。

 しかも、右のグラフを見てほしい。
 日本の自動車保有台数は、2000年代、あまり変わっていないにもかかわらず、駐車場は右肩上がりで伸びている。車が増えているならばいざしらず、駐車場だけが大きく増えているというのは異常な状況だ。これは、上記のような商店街や地域経済の衰退と関連しているに違いない。
駐車場供用台数と自動車保有台数

駐車場供用台数と自動車保有台数

 地域経済や商店街の衰退を語るとき、シャッター通りだけを見ていてはいけない。街中のポツンと作られた駐車場は、その地域の荒れ果てた荒野であり、ある種の耕作放棄地ともいえよう。

 かつて、商店街の衰退に関するアンケートで、「駐車場がない」という項目も比較的高かった。しかし、このように考えると、駐車場があるということは、その地域の衰退を表している。

 よく地方では、街中に行かないのは、車を止めるところがないという話が出る。しかしこのように考えると、車を止めるところがあるということは、決していいことではない。むしろ、車を止めるところがなくても、行きたい町、これが理想なのだろう。


コメント