かつて、産業集積論やクラスター理論というものがあった。
産業集積とは、ある産業に関係する企業が、一定の地域に集中して立地している現象である。この集積に伴う企業間のつながりなどで、正の外部性が生じ、その地域の産業の強さとなっているというものだ。
クラスター理論とは、ポーターが提唱した理論で、ある地域において、特定分野の企業群が集まって、内部では競争しつつ、外部に対しては、競争力を発揮するというものだ。特に、このクラスター理論に基づき、日本でもクラスターを生み出そうと、経済産業省や文部科学省では、産業クラスター・知的クラスター事業というものを行ってきた。
しかし、現状を見ると、これらの理論は何だったんだろうと思う。
右の図は、町工場として、産業集積などの代表とされてきた東京都大田区と大阪府東大阪市の製造業の事業所数(4人以上)である。1990年には大田区には4,322事業所、東大阪市には5,653事業所があったが、増減を繰り返しながら減少し、2010年には大田区は1,748事業所に、東大阪市は2,939事業所まで低下している。実に、約半数近くの事業所がこの20年間になくなってしまった。
更に、これを全国と比較したのが、右の下の図である。1990年を100として、大田区、東大阪市、全国の事業所数の推移をグラフ化している。図を見ると、いずれも低下しているが、特に大田区では全国よりもその落ち込みが大きくなっている。
結局、これを見ると、産業集積の中心、日本のものづくりを支える代表地域などと言われた大田区や東大阪市であったが、何の意味もなかったようだ。むしろ、大田区では全国よりも数値は悪化している。
今思えば、産業集積、クラスター理論といったものは、全く意味がなかったようだ。
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